金融犯罪対策を「競争」から「協調」へ――Web3時代の安心を支える「共同化構想」の舞台裏

2026年10月13日

日立は、デジタルの力を活用し、地球環境、人々の幸福、経済成長が調和する、ハーモナイズドソサエティの実現をめざしています。そんな日立の取り組みを紹介する本企画「人と社会をライトアップ!」。

今回は、急速に拡大する暗号資産やステーブルコイン取引において、巧妙化するマネー・ローンダリングなどの金融犯罪から社会を守る「デジタルアセット取引AML共同化構想」をけん引する日立製作所の岸功にお話を伺いました。

同構想は、社内の事業創生プログラムから生まれ、「第三回日本新規事業大賞」でシード部門グランプリを受賞しました。業界の垣根を越えた協調領域プラットフォームを築き、安心・安全なデジタル社会を支える挑戦の舞台裏に迫ります。


年間3,000兆円市場の裏に潜む危機 ― 犯罪のネットワーク化と防衛の限界

暗号資産やステーブルコインが世界的に普及する中、マネー・ローンダリングを巡ってどのような社会・業界課題が生じているのでしょうか。

日本にいると実感しにくいかもしれませんが、世界では、暗号資産やステーブルコインによる決済はすでに日常的なインフラとして広く普及しています。現在、世界のデジタルアセット市場の年間取引額は、約3,000兆円規模に達しており、すでにクレジットカードの年間決済額を超える規模にまで成長しています。

 

しかし、その巨大な利便性とイノベーションの裏側で、深刻な金融犯罪が急増しています。米チェイナリシス(Chainalysis)社の調査では、2024年に不正な暗号資産アドレスが受け取った金額は、約8兆円規模にのぼります。企業のシステムを人質に取るランサムウェアの身代金支払いや、国際的な制裁を回避するための不正送金、特殊詐欺の収益隠匿など、暗号資産が犯罪資金の受け皿になっている実態があります。

 

さらに現場を圧迫しているのが、規制強化と防衛リソースの乖離です。日本の金融業界には高水準のマネー・ローンダリング対策(AML*¹/CFT*²)が求められています。ですが、事業者ごとにAML対応の人員や体制には差があり、特に専門人財の確保や24時間365日の取引監視は、大きな業務負担となっています。

 

最大の課題は、犯罪資金が事業者や国境を越えて短時間で移転する一方、防御側の情報や対応は個社ごとに分断されている点です。各事業者が把握できるのは自社の取引範囲に限られ、一社だけでは資金移動の全体像を継続的に捉えることができません。この構造を変えなければ、金融犯罪への対応は後手に回り、デジタルアセット産業の健全な発展も難しいという危機感がありました。

 

*¹ アンチ・マネー・ロンダリング
*² カウンター・ファイナンシング・オブ・テロリズム

岸功(日立製作所 金融第二システム事業部 金融システム第一本部) 岸功(日立製作所 金融第二システム事業部 金融システム第一本部)

「競争」から「協調」へ ― 一社の検知を業界全体の防御力に変える日立のアプローチ

個社対応の限界に対し、日立が考案した「デジタルアセット取引AML共同化構想」のアプローチと狙いを教えてください。

AML デジタルアセット取引AMLプラットフォームの連携イメージ。一社が検知した不正兆候(リスクシグナル)を日立のプラットフォームに集約・分析し、各事業者へ即座に共有することで、業界全体の防御網を構築する。

一言で言えば、「一社の検知を、業界全体の防御力にする」というアプローチです。

 

従来は各事業者が自社内だけで取引を監視してきました。しかし、巧妙化する犯罪に対抗するには、各社が個別に防波堤を築くのではなく、業界全体で防衛網を共有しなければなりません。AMLやコンプライアンスは、企業同士が競い合う「競争領域」ではなく、業界全体で守るべき「協調領域」であるはずです。

 

本構想では、日立が中立的な立場で、暗号資産・ステーブルコイン取引のリスクを継続的にモニタリングするプラットフォームを提供します。事業者が把握したウォレットアドレスや取引情報、リスクカテゴリー、検知理由などのリスクシグナルをプラットフォーム上で活用し、一社だけでは捉えにくいリスク兆候の早期把握を支援します。また、各社が個別に行ってきたモニタリング業務の一部を共通化・効率化することで、重複する業務や投資を抑え、AML業務の負荷とコストの低減をめざします。これにより、事業者の規模を問わず、より高度で持続可能なAML体制を構築できる環境を提供したいと考えています。

 

金融業界では過去にも共同化が試みられましたが、企業同士の利害関係など、さまざまな要因から難航してきました。金融機関ではない中立性と、数々の社会インフラを実装してきた高い技術力を持つ日立だからこそ、競合同士の手を繋ぎ、業界を一つにまとめられると確信しています。


世界水準の技術力と「AML共同センター」の実装

業界横断の仕組みを動かすにあたり、日立の技術がどう活用されているのか、また具体的なシステム構成について教えてください。

ツールの提供にとどまらず、「制度・技術・実務」の課題を解消するため、11の機能を体系化したプラットフォームを発案しました。

AML 「制度・技術・実務」の課題を解消する11の機能マップ。「規制対応」「コスト削減」「AML精度向上」の3軸に沿って、日々の取引監視(即時・事後)から詳細調査・届出支援、犯罪手口の分析までを包括的に体系化。

技術面では、グローバルにブロックチェーン分析サービスを展開する米チェイナリシス社と協創しています。同社が保有するグローバルな分析情報と、データ分析技術、国内事業者・有識者から得た知見を組み合わせ、制裁・犯罪関連性、詐欺との関連性、取引行動の特徴など、複数の観点からリスクを評価します。暗号資産に加え、今後さらなる普及が見込まれるステーブルコインについても、その流通に伴うリスク兆候の継続的な把握を支援します。

 

さらに将来的には、システムによる検知の先にある詳細調査や報告支援までを担う「AML共同センター」の設立をめざしています。AMLの実務では、アラートが出た後も、取引やウォレットアドレスの詳細調査、資金移動の分析、公開情報の確認、疑わしい取引に該当するかを判断するための情報整理など、多くの専門的な作業が必要です。しかし、こうした知見を持つ人財を各事業者が個別に確保することは容易ではありません。

 

AML共同センターでは、これらの調査や、所管行政庁への届出に必要な資料作成を支援することを構想しています。最終的な判断と届出は各事業者が担いながら、システムと専門人財を共同で活用することで、業界全体のAML業務の効率化と高度化をめざします。


現場の痛みに寄り添い、業界を「繋ぐ」 ― 60社超の対話と「Frontier」が導いたグランプリ

「第三回日本新規事業大賞」でグランプリを受賞されましたが、アイデアを磨き上げるまでの道のりと、日立だからこそ実現できた強みについて教えてください。

構想を具体化するうえで最も重視したのは、現場の切実な課題に向き合うことです。金融機関や暗号資産交換業者との対話から、調査負荷の増大、専門人財の不足、対応コストの上昇など、個社の努力だけでは解決できない構造的な課題が見えてきました。さらに、官公庁、業界団体、有識者など60社超との対話を重ねることで、この問題は一企業や一業界に閉じたものではなく、デジタル社会の信頼や経済安全保障にも関わる国家的な課題であると気づきました。だからこそ日立は、自社だけで解決策をつくるのではなく、企業と企業、官と民、技術と実務をつなぐ役割を担い、多くのパートナー企業や関係者とともに構想を磨いてきました。

受賞 日立発のAML共同化構想が、「第三回日本新規事業大賞」シード部門グランプリを受賞

また、この挑戦を事業へと発展させるうえで、事業創生プログラム「Frontier*³」の存在も大きな支えになりました。外部メンターの伴走支援を受けながら、専門性の高いアイデアを、顧客価値や事業性を備えた「日立として取り組む事業」へと磨くことができました。Frontierは、社員の問題意識から生まれたボトムアップのアイデアを、日立の幹部が推進する事業戦略やトップダウンの活動へとつなぐ役割も担っています。個人のアイデアを会社として取り組む事業へ発展させる仕組みが、今回の挑戦を前進させる力になりました。その結果、2026年4月には「第三回日本新規事業大賞」でシード部門グランプリを受賞しました。社員発の挑戦を組織として支え、事業へ育てる日立の仕組みが、社外からも評価されたものと受け止めています。

*³ 日立製作所において、現場社員の自由なアイデアや問題意識を起点とした新規事業の創出をめざす社内事業創生プログラム。外部メンターによる伴走教育や徹底した事業検証環境、専任で事業開発に挑むための裁量権などが提供される。金融システム事業部からスタートし、現在はデジタルサービスBU全体へと拡大している。


二度の実証を経て、商用サービスを提供開始

これまでの実証実験で得られた手応えと、サービス提供開始後の展望を教えてください。

2025年に実施した最初の実証では、暗号資産交換業者、金融機関、通信事業者など12社が参画し、事業者間でリスク情報を活用する仕組みについて、有効性を検証しました。

 

続く2026年の実証では、金融庁の「FinTech実証実験ハブ」の支援決定案件として実施しました。個人情報保護法をはじめとする制度上の論点について関係機関へ照会し、回答や助言を踏まえながら、事業者間で活用する情報の範囲や条件、各事業者との責任分界などを整理しました。また、複数の分析技術や外部情報を組み合わせ、リスク兆候を多面的に把握するための技術検証も行いました。

 

こうした実証で得られた知見を踏まえ、2026年10月から、暗号資産・ステーブルコイン向けAMLモニタリングサービス「Digital Asset AML Platform」の提供を開始しました。対象アドレスを継続的に評価する事後モニタリング、取引前に相手先アドレスを評価するオンライン即時評価、ステーブルコインなどの流通リスクを監視するトークンモニタリングの3つの機能を通じて、事業者によるリスク兆候の早期把握とAML業務の効率化を支援します。さらに、将来的には、システムによるモニタリングに加え、専門人財による詳細調査や報告支援などを担う「AML共同センター」の設立をめざし、準備を進めています。

 

まずは日本国内でサービスを定着させ、実際の業務で得られる知見を蓄積しながら、機能と運用の両面を継続的に高度化していきます。そのうえで、金融犯罪が国境を越えて広がっているという課題を踏まえ、将来的にはAPACをはじめとする海外の国、金融機関、暗号資産・ステーブルコイン関連事業者とも連携し、日本で培った協調型AMLの仕組みを海外へ展開できるモデルに育てていきたいと考えています。


「見えない安心」を社会インフラに

日立は、デジタルの力を活用し、地球環境、人々の幸福、経済成長が調和する、ハーモナイズドソサエティの実現をめざしています。岸さんは、デジタルの力でどんな未来をめざしていますか。

私がめざしているのは、新しい技術が生み出す価値を、誰もが安心して享受できるデジタル社会です。デジタル技術の進展によって、これまでにないサービスや経済活動が生まれています。中でもWeb3は、人と人が直接つながり、互いに価値を提供し合う、共助の社会を実現する可能性を持っています。しかし、技術と社会をつなぐためには、その土台となる「信頼」が必要です。金融犯罪への不安が残ったままでは、利用者は安心して新しいサービスを使えず、企業も新しい事業へ踏み出せません。

 

AML共同化は、企業と企業、業界と業界、官と民、技術と社会をつなぎ、個社だけでは対応できない金融犯罪に、社会全体で向き合うための取り組みです。新しい技術が生み出す経済成長と、人々の暮らしの安心を、信頼によってつないでいく。そのための基盤を社会に実装し、次の世代へ引き継ぐことが、日立だからこそ果たせる役割であり、私が実現したい未来です。

岸さん

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