2026年8月26日
人口減少や人財不足により鉄道インフラの持続可能性が問われる中、日立製作所はIT×OT×プロダクトを統合した「ミッションクリティカル鉄道CPS」でその解決に挑む。新しい収益を生む「攻めのDX」とインフラを維持する「守りのDX」の両輪で描く、次世代の沿線づくりとは。
現在、社会インフラを取り巻く環境は大きく変化しており、その持続可能性が課題になっている。道路の陥没やトンネルの崩落、維持管理が困難となった橋梁、過疎化による路線廃止など、日本全国でさまざまな問題が顕在化している。この根幹には、人口減少に伴う「需要減」と人財不足による「供給不足」という構造的な課題があり、効果的な解決策を見いだすことは容易ではない。
そんな中、日立製作所(以下、日立)は「鉄道沿線の持続可能性」をテーマに、鉄道・交通領域の課題解決に挑んでいる。社会システム事業部で事業主管を務める宮武学はこう話す。
「社会インフラの中でも鉄道、交通業界は転換期に入っています。熟練者の退職などによる人財の不足を受け、安全・安心な鉄道事業運営を継続できるよう支援していく必要があります。一方で、人口減少や人々の行動変化に伴い、輸送事業だけに依存しないビジネスモデルの構築を急務としている鉄道事業者の支援も求められています。そこでポイントになるのが持続可能な沿線づくりです」
持続可能な沿線づくりの特徴は、「攻めのDX」と「守りのDX」を両輪で推進することにある。
「鉄道利用者の移動を起点に沿線の多様な生活サービスを連携させ、新たな収益源を創出する『沿線経済圏DX』。安全・安心な運行を大前提としつつ、設備の維持・更新コストを極小化することにデジタルで貢献する『沿線インフラDX』。日立はこの2つに注力しています。これら攻めと守りのDXを両輪で回すことで、交通インフラと沿線の暮らしの両方を、未来に向けて持続可能な形にアップデートすることをめざしています」
宮武学(日立製作所 デジタルサービスビジネスユニット 社会システム事業部 事業主管)
日立が2つのDXを推進できるのには理由がある。日立は、チケッティングや座席予約、情報分析といった「IT」(情報技術)、列車の運行管理や信号制御を担う「OT」(制御・運用技術)、そして鉄道車両や機器製造といった「プロダクト」(製品)という3つのフィールドで基幹製品やシステムを提供している。ミッションクリティカルな領域で培ってきた独自のノウハウやナレッジを生かすことで、これまでにない沿線づくりが可能になる。
「IT×OT×プロダクトを統合した『ミッションクリティカル鉄道CPS(サイバーフィジカルシステム)』によるイノベーションや、データドリブンなモビリティソリューションを提供し、交通インフラとサービスの最適化を実現する『HMAX Mobility』などを通じて2つのDXを創出します。私たちが長年培ってきた暗黙知やノウハウをデジタルで引き出して、鉄道利用者の体験価値向上とインフラの抜本的な効率化を両立させます」
日立は、沿線経済圏DXと沿線インフラDXを具現化するため、中核的なソリューションを用意している。
「駅業務アプリケーションスイート」(以下、駅スイート)は、駅係員や乗務員、指令員の業務をスマートフォンなどのデバイスとWebアプリで統合する業務支援SaaSだ。駅スイートについて宮武は、「沿線経済圏DXに位置付けていますが、現場の負担を減らすという意味でインフラDXの側面も持っています」と語る。
「インバウンド対応の増加や人財不足に伴い、駅係員の業務は複雑化して負担が増す一方です。駅スイートは、そうしたフロントラインワーカーの『武器』になるようなサービスにしたいというコンセプトで作りました。現場の負担をデジタルで解放することが、結果的に鉄道利用者へのサービス向上にもつながります」
日立はこれまでも、車いすや白杖を利用する鉄道利用者への案内業務をスマートフォンで完結させるサービスなどを通じて、駅員の業務支援に取り組んできた。そうした「現場に寄り添うデジタル化」のアプローチを、駅業務全般に拡張したのが駅スイートだ。
駅スイートは、現場サイドに提供する「スマートデバイスアプリ」と、管理サイドに提供する「Webアプリ」のセットで構成される。スマートデバイスアプリは、基本機能を持つスーパーアプリと、必要な機能を後から追加できるミニアプリの2段構造を採用した。例を挙げると、スーパーアプリ「作業ダイヤ」で1日の作業内容を一覧化・管理しつつ、現場の課題に応じて「起床報告」「巡回管理」といったミニアプリを追加して組み合わせるといったことができる。
「現場に合わせてミニアプリを柔軟に追加できるスモールスタートが可能です。ミニアプリの開発は、PoCを通じて現場のリアルな困り事から生み出し、鉄道事業者の共通課題として汎用化・横展開します。スーパーアプリ及びミニアプリは今後ラインアップを拡充する計画であり、現状は多言語での旅客案内や業務マニュアルの照会にAIが自動で回答する『駅係員サポートAI』の追加を予定しています」
アプリの組み合わせによって連携改善から旅客案内まで柔軟に対応できる駅スイートは今後、各ミニアプリにAIエージェント要素を組み込み、AIが自律的に業務をサポートする未来も見据えている。AIを活用した業務効率化と現場改善によって、TCO(総所有コスト)の削減と業務品質の向上の両立をめざす。
人口減少や価値観の多様化に伴い、鉄道事業の需要そのものが変化している現在、宮武は「従来の事業軸のKPIから、人の“個”の活動に着目するKPIに移行することが重要」だと指摘する。「鉄道利用者や地域の皆さまに沿線エリアのファンになっていただきウォレットシェアを向上させたり、駅だけでなく沿線の店舗などでの相互送客によってお客さまの増加を図ったりすることが求められています。鉄道事業者を基点に回る“沿線経済圏”を形成することが理想です」
既存の枠にとらわれないサービス創発を通じて沿線経済圏DXを具現化する中核ツールが、「沿線ペルソナ生成・活用基盤」と「Happiness Planet FIRA」(以下、FIRA)の組み合わせだ。鉄道事業における顧客理解は「1対マス」になりがちで、鉄道利用者を深く理解して効果的な施策を打ち出すことに課題を抱える事業者は多い。
「そこで当社は、鉄道事業者が保有するODデータ(乗降履歴)やポイント会員データなどを、個人が特定できないよう統計化したものとして受領。そこに、心理属性や移動シーン(時間帯・場所・目的)、施策への反応や行動傾向を補完して、仮想的な沿線利用者のデータを作成しました。このような考え方に基づいて、個人情報を保護しながら実在の利用者に近い高解像度の『ペルソナ』を生成する仕組みを実現しました。この仕組みを使うことで1000~2000体規模のペルソナ群を生成し、ターゲット層への仮想アンケートや施策の事前評価を実施できます」
本ソリューションの真価は、生成したペルソナ群から代表ペルソナを抽出してFIRAと掛け合わせる点にある。FIRAは日立グループのハピネスプラネットが開発した創造AIで、経営者や専門家の思考を再現した600種類以上の多様な知見を持つAI「異能(有識者AI)」を備えている。
「鉄道利用者の視点を持つ代表ペルソナと、さまざまな専門知識を持つ複数の異能を同じテーブルにつかせ、AIファシリテータの下でディスカッションさせます。鉄道事業者の経営計画などを前提(ガードレール)としてFIRAにインプットしておくことで、議論を単なる奇抜な思い付きで終わらせず、財務や法律などの視点も交えて実行が現実的な施策へと絞り込み、ブラッシュアップできます」
FIRAはすでにリリースされており、幅広い業種で約80組織*に導入された実績を持つ。日立は現在、鉄道事業者と「沿線ペルソナ生成・活用基盤+FIRA」のPoCを進めており、サービスの創発からフィールドでの実装、そして得られたデータを再びマーケティングに生かすサイクルを高速に回すことで、沿線経済圏DXの実現と経済圏の拡大を支援する。
*2026年6月末現在の累計導入数。
沿線インフラDXのソリューションとして開発しているのは、鉄道・電力・通信などの社会インフラ現場における障害発生時の状況把握と情報連携を迅速化する「現場状況共有システム」だ。2027年度中の提供開始をめざして、プロトタイプによる実証実験を予定している。
信号や踏切、変電設備などで障害が発生した際は迅速な対応が求められる。しかし現場や指令所では電話やチャット、手書きホワイトボードによる情報共有が交錯しており、情報が分散しやすい。宮武は、「それでも現場が迅速に対応できているのは熟練者の暗黙知があるから」だと話し、彼らのノウハウをデジタルの力で形式知化して、次世代へ継承することが急務だと警鐘を鳴らす。
本システムが追求したのは、現場からのリアルタイム入力と情報の自動整理だ。テキスト・画像・動画に加え、音声でも状況を報告できる。入力された内容は、報告の文脈や図面・設備諸元などから情報が補完され、「いつ・どこで・何が起きたか」という共通の軸で構造化される。緊急時に設備名や場所が省略された報告であっても、自動で整理される。
さらに大きな強みが、こうして整理されたデータが時系列のタイムラインとGIS(地図)上にリアルタイムで一元表示される点だ。障害の発生場所や対応状況が地図上で把握できるため、現場や指令所、関係部門への状況確認の問い合わせを削減し、迅速な判断と対応を可能にする。対応経過の要約や報告書の自動生成に加えて、過去事例の検索・参照機能も備えており、事後業務の効率化と技術伝承を強力に支援する。
「単なる作業負担の軽減にとどまらず、蓄積された履歴から若手が学びを得る『技術伝承の基盤』になること。そして指令所や現場、関連部門といった壁を越えて全員が同じ状況認識を持ちながら判断・対応できること。これこそが、私たちがめざすインフラDXの神髄です」
現在は、鉄道事業者との効果検証に向けた準備を進めており、今後の効果検証を通じて現場運用への適合と機能の高度化を進める予定だ。電力・通信などの他分野への展開も視野に入れている。
それを具現化するこれらのソリューション群は、「Hitachi Social Innovation Forum 2026 JAPAN」(2026年9月3日~4日)で展示予定だ。IT×OT×プロダクトを統合したミッションクリティカル鉄道CPSが、いかにしてインフラの安全な維持と新たな沿線経済圏の構築を両立させるのか。展示やユースケースを通じて、次世代の鉄道事業に向けた社会実装の道筋を確かめてほしい。