第7回|柏崎刈羽原子力発電所 再稼働から始まる新たな安全と信頼の歴史【前編】
新潟県柏崎市と刈羽村にまたがり、日本海に臨む約420万㎡(東京ドーム約90個分)の広大な敷地に7基の発電設備を有する東京電力ホールディングス柏崎刈羽原子力発電所。総出力は821万2,000キロワットあり、1か所の原子力発電所としての合計電気出力世界一を誇りました。東日本大震災後に全基が発電を停止していましたが、2026年4月16日、6号機が営業運転を再開しました。
今回、松井 康真氏は運転中の6号機と、再稼働に向けた準備が進む7号機を訪ね、新規制基準に対応した安全設備などを取材しました。その模様を2回に分けてお届けします。
柏崎刈羽原子力発電所は、松井氏が2011年に初めて内部を見学し、原子力担当記者への第一歩を踏み出した原点とも言える場所です。15年ぶりの再訪は松井氏にとって、さらなる安全の追求に向けて大きく変わった発電所の様子と、時を経ても変わらない、安全と信頼を支える人々の思いを確認する旅となりました。前編では発電所全体の安全対策の柱と、6号機内部の様子を見ていきます。
柏崎刈羽原子力発電所5~7号機(東京電力ホールディングス株式会社提供)
柏崎刈羽原子力発電所は、柏崎市の中心市街地から約10km、車で20分ほどの距離に位置する。現地に着いた松井氏は、まず発電所手前にあるPR施設「サービスホール」へ向かい、柏崎刈羽原子力発電所の大東 正樹副所長より発電所建設の経緯や概要、安全対策についての説明を受けた。
新潟県は古くから原油の産地として知られ、明治から昭和初期にかけて柏崎周辺は石油産業によって大いに栄えた。やがて採油量が減少していくなか、引き続き日本のエネルギーを支えていきたいという地元の思いを背景に、1969年、柏崎市と刈羽村の両議会は東京電力による原子力発電所建設の誘致を決議。これを受け1978年に柏崎刈羽原子力発電所の建設が始まった。
1号機が営業運転を開始したのは1985年。その後、順次建設が進み、1997年に7号機が営業運転を開始。発電した電力は大消費地である首都圏に送られ、電力の安定供給を通じて日本の経済・産業の発展と日々の暮らしを支えてきた。
全7基の発電設備のうち1~5号機はBWR(沸騰水型原子炉)、6号機と7号機は世界で初めて建設・運転されたABWR(Advanced BWR:改良型沸騰水型原子炉)(※1)である。東日本大震災後の2012年3月以降は全基が発電を停止していたが、2026年4月16日に6号機が営業運転を再開し、順調に運転を続けている。7号機はすでに規制当局の審査には合格しているものの、特定重大事故等対処施設(※2)の工事などが続いており、再稼働にはなお時間を要する見通しとのことである。
サービスホールで柏崎刈羽原子力発電所の概要を紹介する、東京電力ホールディングス 柏崎刈羽原子力発電所の大東 正樹副所長(左)。
15年ぶりに訪れた松井氏と
再稼働に向けては、福島第一原子力発電所事故の教訓をふまえた新規制基準に対応した安全対策を強化してきたと大東副所長は説明する。対策の柱は大きく四つ。まず「津波への備え」では、敷地の高さと合わせて海抜15mとなるよう防潮堤を設置、重要エリアは水密化し、配管貫通部には止水処理などを施した。
「電源を絶やさないための備え」では、従来から各発電設備に3台ずつ設置していた非常用ディーゼル発電機に加え、新たに空冷式ガスタービン発電機車を4セット、電源車を18台配備した。
「原子炉を冷やし続けるための備え」としては、注水用の消防車を30台、代替熱交換器車(※3)を9台配備、建屋内には、後述する高圧代替注水系(HPAC)を設置した。また容量約2万トンの淡水貯水池も新設し、注水用の淡水を1週間以上供給可能としている。
「放射性物質の放出を抑える備え」としては、フィルタベント、水素処理設備の設置などを行った。フィルタベントは、事故発生時に格納容器内の圧力上昇を抑えるために滞留したガスを抜く際、これを通すことで放射性物質をおおむね1000分の1以下に低減させる設備だ。(水素処理設備については後述)
主な安全設備の構内配置図(東京電力ホールディングス株式会社提供)
こうした安全設備に加え、発電所全体の総合訓練を毎月1回以上の頻度で行っており、震災以降の実施回数は200回を超える。個別要素の訓練も累計3万4000回以上に及び、緊急時にも発電所内の常駐要員だけで初動対応できる体制を整えている。
また、福島第一原子力発電所事故当時、復旧班長として現場の事故収束にあたった経験のある稲垣 武之所長の発案によるあいさつ運動やサンクスカード(感謝メッセージ)の手渡しなど、コミュニケーション活性化と「人を大切にする」取り組みも推進されていることも紹介された。東京電力と協力企業の社員合わせて6,600人前後(2026年6月時点)が働く発電所。安全の礎として、すべての人が誇りをもって生き生きと働ける環境づくりをめざす、稲垣所長の強い思いが込められた取り組みであるという。
サービスホールに展示されている柏崎刈羽原子力発電所全景の模型
概要説明を聞き終えると、大東副所長の案内で松井氏はいよいよ発電所内へ。今回は、追加された安全設備を中心に見学していく。
構内はセキュリティレベルに応じてゾーニングされており、それぞれのゾーンに入る際にはゲートで必ず厳格なセキュリティチェックが行われる。建屋に入ると、最初に6号機と7号機の中央制御室に案内された。「ここに入ると、前回見学したときもそうでしたが、落ち着いた緊張感を感じます」と松井氏。「動いていない7号機も運転員が監視しています。止まっている状態を見守っているのですね」
中央制御室。原子炉やタービン、発電機などの状況を監視し、運転を制御する役割を担う(東京電力ホールディングス株式会社提供)
続いて向かったのは、6号機の原子炉直上に位置するオペレーティングフロアを見渡せる見学室。オペレーティングフロア壁面には、事故時の水素発生に備えた水素処理設備が56台設置されている。この設備には、常温で体積の900倍以上の水素を吸着する特性を持つパラジウムを利用した触媒が用いられている。電力を使わずに水素と酸素を反応させて水に戻すことで建屋内の水素濃度を燃焼・爆発の恐れがある濃度範囲のうち最も低い4%未満に抑え、水素爆発を防ぐ仕組みである。
6号機のオペレーティングフロアを見渡す
フロア上部にはブローアウトパネルもある。本来、配管損傷などにより原子炉建屋内の圧力が異常に上昇した場合に、自然に外れて圧力を逃し、建屋の損傷を防ぐための設備である。福島第一原子力発電所事故の教訓を踏まえ、建屋内の水素濃度が高まり爆発のおそれがある場合には、接続したワイヤーを外側からウインチで巻き取ることで強制的に開放して水素を逃がす装置が追加された。それでも水素濃度が高まった場合に備えて、建屋上部から水素を逃がすトップベント設備も追加設置した。
また、ブローアウトパネル開放後には必要に応じて開口部を閉止できる装置も設けられた。基本的には電動で操作するが、人力でも開閉できる設計となっている。建屋の外側からは、強制開放装置の大型ウインチと閉止装置の巨大な扉を間近に見ることができた。
原子炉建屋を出ると、松井氏が次に案内されたのは6号機のタービン建屋だった。後編では、振動と音が伝える「発電所が動いている」という実感、そして7号機の再稼働へ向けた現場の思いにふれる。
ブローアウトパネルと強制開放装置の大型ウインチ
(※1)従来のBWR(沸騰水型原子炉)の安全性・運転性および経済性を大きく向上させた原子力プラント。
(※2)通称「特重施設」。故意による大型航空機の衝突やテロによって原子炉が損傷し、深刻な事故が発生した場合でも、原子炉格納容器の破損と放射性物質の大量放出を防ぐためのバックアップ設備。原子力規制委員会が定める新規制基準に基づき、すべての原子力発電所に設置が義務づけられている。
(※3)既存の熱交換(除熱)設備が使用できなくなった際に、内部で原子炉や原子炉格納容器の高温の水と海水との熱交換を行い、熱を外部に逃がす役割を持つ移動式の緊急冷却設備。
松井 康真 氏
フリーアナウンサー・ジャーナリスト
富山県南砺市(井波町)出身。富山県立高岡高校卒業。東京工業大学(現 東京科学大学)工学部化学工学科卒業。
1986年 テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「ミュージックステーション」でタモリさんと組んでMC、
「ニュースステーション」ではスポーツキャスターを担当、「ステーションEYE」、
「ワイドスクランブル」、「やじうまプラス」などで報道情報キャスターとして活躍。
2008年 テレビ朝日アナウンサースクール「アスク」学校長。在職中の2年間の指導で全国に100人以上のアナウンサーが誕生。
2011年3月の東日本大震災を契機にアナウンス部から報道局原発事故担当記者に異動。
その後に宮内庁担当、気象災害担当、コメンテーターを歴任。
2023年 テレビ朝日退社後に個人事務所「OFFICE ユズキ」を設立。
株式会社タミヤ模型史研究顧問、富山県南砺市アンバサダー、株式会社獺祭メディアアドバイザー。