知のエグゼクティブサロン 2026年度 第1・2回レポート
知のエグゼクティブサロン 2026年度 第1・2回レポート
2026年9月28日
「知のエグゼクティブサロン」第2回では、第1回で示された「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか」という問いを受け、自然科学の視点から「人間とは何か」を考えた。リソースパーソンとして東京大学の太田 博樹氏と坪山 幸太郎氏が登壇し、太田氏は人類進化研究、坪山氏はタンパク質設計に関する最新の知見を紹介した。二つの研究は一見異なるようだが、「人間の過去・現在・未来」という一本の軸でつながっている。
講義後には、登壇者を交えた参加者によるグループ討議と全体質疑が行われた。対話を通じて、科学の進展は恩恵をもたらす一方、新たな倫理的問いを生み出していることも浮き彫りになった。
最初に登壇したのは、ゲノム人類学の視点から「人の生物としての多様性」を研究する太田博樹氏。比較的最近まで古典的な博物学の体系に組み込まれていた生物学が、分子生物学の進歩によって新たな方向へ発展してきたと話す。DNAの機能や構造の解明、ゲノム解読が可能になったことで、人類進化をめぐる従来の常識も書き換えられつつあるという。
その象徴が、ネアンデルタール人の絶滅をめぐる研究である。かつては、ホモ・サピエンスが脳の発達によって高度な思考能力を獲得した「認知革命」が起き、ネアンデルタール人との生存競争に勝ったという説明が広く受け入れられていた。
しかし、シーケンサーの発展によって核ゲノム解析が進んだことで、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交雑していたことが明らかになった。考古学的な発見も、両者の交流の可能性を示しており、従来の単純な見方には疑義が生じている。
とはいえ認知革命という見方が完全に否定されたわけではない。現在、iPS細胞技術を応用し、ネアンデルタール人型とホモ・サピエンス型の大脳皮質のオルガノイド(細胞を3次元培養した組織)をつくり、比較する、最先端のバイオテクノロジーを用いた研究も行われている。
太田氏の研究室では、縄文人の骨からDNAを取り出し、現代日本人とのつながりを調べている。その結果、現代日本人のゲノムには縄文人由来の配列が約10~20%含まれることがわかってきた。私たち一人ひとりの身体には、人類の移動や混血、環境への適応といった長い歴史が刻まれているのである。
東京大学の太田 博樹氏
続いて坪山 幸太郎氏が、生命科学の未来を大きく変えつつあるAIの進歩とタンパク質研究について語った。
私たちの体内で、タンパク質は筋肉やコラーゲンの主成分として生体を構成するだけでなく、さまざまな役割を担っている。酸素を運ぶヘモグロビン、アルコールなどを分解する酵素、異物を排除する抗体、細胞内で物質を運ぶキネシンなど、タンパク質は生命活動を支える「生体内のナノマシン」と呼べる存在だと、坪山氏は説明する。
タンパク質は20種類のアミノ酸から成り、その配列と立体構造によって多様な機能を生み出している。100個のアミノ酸で構成される一般的なタンパク質で考えると、組み合わせの数は単純計算で20の100乗という天文学的な数に達する。一方、地球上の全生物が利用しているアミノ酸配列の総数は10の12乗程度とされ、私たちはその途方もない可能性のごく一部しか使っていないということになる。
そこで、AIを使って自然界にはない新しいタンパク質を設計する研究が進んでいる。大きな転機となったのが、深層学習技術によるタンパク質構造予測だ。長年蓄積された実験データを学習した「AlphaFold」により、アミノ酸配列から立体構造を高い精度で予測できるようになった。
現在は、構造から機能や性質を予測する研究が進んでいる。最大の課題はデータ不足だが、データを集め、自然から学ぶことで、自然を超えるナノマシンを設計し、医療分野などに貢献したいと坪山氏は展望を語った。
東京大学の坪山 幸太郎氏
二人の講演後、参加者はグループに分かれ、講演を聞いて生まれた疑問や、さらに深めたい論点を話し合った。その結果を持ち寄り、全体質疑で対話が繰り広げられた。
参加者から寄せられた問いの一つが、「どこまでが人間なのか」。太田氏によれば、ヒトゲノム計画が進行していた頃は、ゲノムが解読できれば人間をより明確に定義できるようになると考えられていた。しかし、実際にはその逆だった。チンパンジーのゲノムと比較すると定量的な違いはあるものの、何をもって人と定義できるかは、いまだ明らかではない。人間とそれ以外の生物の間に明確な線を引くことはできず、グラデーションのような連続性があるのではないかと太田氏は考えている。何が人間を人間たらしめているのか。科学の進歩によって解明されたことが増える一方で、新たな謎も浮かび上がっているのである。
質疑応答ではさらに、科学研究における倫理や、科学技術の「エンジン」と「ブレーキ」についても議論が及んだ。自然界の進化は、突然変異と環境による選択を繰り返しながら漸次的に進んでいく。一方、現代の人間は、ゲノム編集やAIなどを用いて、その変化を人為的に加速する力を持ち始めている。その力をどこまで行使することが許されるのか。
太田氏は、最終的なブレーキとなるのは、人間が議論を重ねながら形成していく「倫理観」だと語った。研究者一人ひとりの自律に加え、研究内容を可能な限りオープンにし、社会と対話することも、暴走を防ぐためのガードレールになるという。
坪山氏は、AIが今後の科学研究を加速させるエンジンとなる一方、データ不足や企業によるデータの囲い込みが、科学全体の進歩を妨げるブレーキになり得ると指摘した。こうした課題に対し、研究機関や企業の枠を超えてデータを共有する「オープンサイエンス」の取り組みが進められている。
科学研究に必要なデータや研究そのものを一部の研究者や組織の中だけに閉じ込めず、社会に対して開くこと、異なる立場の人々が議論に参加できる環境をつくることが、科学の発展とその暴走を防ぐという両面で重要になっていると言えるだろう。
最後にコーディネーターの篠田 真貴子氏が、第2回の議論は、人間にとって「よりよい未来とは何か」という根本的な課題を深く考える時間となったと総括した。また、最新の研究が従来からの思い込みを次々と覆していることから、思考のバイアスを自覚する必要性も指摘した。