沿革:1910~1960
- 技術のあゆみ
- 会社機構の変遷・外部環境の変化
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| 1918 | ![]() 大型ポンプを製作 明治末期から大正にかけて日本では、近代化に向けて電気が動力の主役となっていきます。 |
| 1924 | ![]() 国産初の大型電気機関車 日本最初の鉄道が新橋・横浜間に開通したのは1872年。文明開化のシンボルとなった鉄道は、明治の新しい国づくりを支えながら発達し、1889年に東海道線が全線開通します。1920年に鉄道省が設立され、東海道線の電化計画を立てますが、その頃、国内の大型電気機関車はすべて外国製でした。国産化の使命感に燃えた日立は、全社をあげて大型電気機関車の開発に挑戦し、鉱山用の電気機関車を製造した経験しかない中で、1924年には試験運転を成功させました。このとき開発した「ED15形」が、国産初の大型電気機関車として知られています。 |
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| 1926 | ![]() 日立製品輸出第1号の扇風機 日立は、大型製品を製作する一方で、1916年(大正5年)頃から量産品として扇風機の商品開発に取り組みました。しかし、首振り機構が難しく運転音がうるさすぎるなど、なかなか商品になりませんでした。 |
| 1930 |
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| 1931 |
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| 1932 |
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| 1933 | ![]() 乗用エレベーター1号機 日立が昇降機の研究開発を始めたのは、創業からまもない1920年のこと。そして1932年にはエレベーターの製造を本格的に始め、翌1933年に乗用エレベーターの1号機を東和アパートに納めました。5人乗りで速度は分速30mでした。 |
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| 1934 | ![]() 東京・金町浄水場に電気系統制御盤を納入 河川などから取り入れた水を浄水場で浄化し、飲料水や生活用水として供給する上水道のシステムが日本で初めて導入されたのは明治時代のこと。生活用水には主に井戸水が使われていましたが、都市部の人口増加に伴い、だんだんと近代水道が整備されていきます。 |
| 1936 | エスカレーター1号機 エスカレーター1号機は、1936年に、のちに近鉄百貨店となる大阪の大鉄百貨店に納めました。現在のものよりも幅は狭く、欄干(らんかん)にはチーク材、ステップにはベークライトを使用していました。 |
![]() 日立のディーゼル自動車 1910年代後半に米国の自動車メーカーが流れ作業方式による大量生産を確立し、自動車の大衆化が進みました。日本でも1930年代から国産自動車の開発が本格化しました。当初は、トラックやバスなどが主流でした。 | |
| 1940 |
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| 1943 |
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| 1951 |
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| 1952 | ![]() 揚水発電所用の大型ポンプ 日本では、1950年ごろの電気は主にダムによる水力発電でつくられていました。しかし、電力不足による停電がたびたび起きていたため、大型ポンプでくみ上げた水で発電を行う揚水発電により電力を賄いました。 |
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| 1953 |
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| 1954 |
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| 1955 | ![]() クロスバー交換機 日本で固定電話加入者が増え始めた1950年代前半。当時、市内通話の接続は自動化されていましたが、市外通話はまだ交換手による手動の接続だったため、接続にはまだ時間がかかっていました。また、当時の自動交換機は、保守が難しいなどの問題点がありました。そこで、国内でも日本電信電話公社により、開発・導入が検討されたのがクロスバー交換機です。 |
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| 1956 |
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| 1958 |
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| 1959 |
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| 1960 | ![]() 世界初の座席予約システム「MARS」 「みどりの窓口」で知られるチケット予約システムの原型となったのが、1960年に誕生した世界初のオンライン座席予約システム「MARS*(マルス)」です。 *MARS :Magnetic-electronic Automatic Reservation System |
![]() 世界初の超音波診断装置を開発 外からは見ることのできない体の内部を見る――。そんな医学の夢を、魚群探知機にも使われていた超音波の力で実現したのが、超音波診断装置です。 | |
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| 1910 |
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| 1919 | ![]() 日立工場の大火災 1919年(大正8年)11月14日の早朝、日立工場(現日立事業所)で火災が発生し、主要な製造工場と事務所、倉庫が全焼し、完成品や仕掛品もほとんどが焼けてしまいました。 |
| 1920 |
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| 1921 |
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| 1923 | ![]() 関東大震災からの復興 1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、相模湾でマグニチュード7.9の大地震が発生し、京浜地区に壊滅的な被害をもたらしました。東京の半分近い世帯が停電となり、有力企業の多くが大きな被害を受けました。そこで、茨城県日立市で目立った被害がなかった日立製作所に、電気機器の注文が殺到しました。 |
| 1937 |
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| 1939 |
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| 1940 |
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| 1943 |
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| 1946 | ![]() なべ・かまの生産 1945年(昭和20年)8月15日の終戦ののち、各工場は生産再開に向けて動きだしました。とはいっても、多くの工場が戦災を受けており、かろうじて残った手持ちの資材で鍋・釜や電気コンロなどをつくりました。海水を電気で沸かして貴重な塩をつくった工場もありました。研究所でも、食料難にあえぐ従業員のために、人工甘味料や人造しょうゆ、麹・イーストを製造して配給しました。 |
| 1955 |
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| 1956 |
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| 1957 | ![]() 通天閣と日立 大阪のシンボルとして親しまれている通天閣。2016年10月に開業60周年を迎えた現在の建物は2代目です。1912年に建てられた初代通天閣は、戦時中の火事によりやむをえず解体されてしまいました。 |
![]() 庶民が憧れた家電品「三種の神器」 日本はめざましい経済復興を遂げ、1953年にはテレビ本放送が始まりました。しかし、当時テレビはまだまだ庶民にとっては高嶺の花。街頭テレビに多くの人々が集まり、野球や相撲、プロレス中継に熱狂しました。 | |
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| 1959 |
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