ページの本文へ

Hitachi Global

沿革

1910年の創業以来、自主技術と製品の開発を通じて、社会課題の解決に挑み続けてきた日立の歩みをご紹介します。

創業の志を今に受け継ぎ、未来をひらく

1910年、日立は日本の茨城県にある鉱山機械の修理小屋で創業しました。
日本がまだ外国の製品や技術に大きく依存していた時代、創業者 小平浪平は自分たちの技術力を信じ、
たゆまぬ努力と尽きることのない情熱でモノづくりに挑戦し続けるチームを築きました。

「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」。
チームの原動力となった志は日立グループの原点であり、企業理念となりました。
そして企業理念の実現に向けて先人たちが大切にしてきた「和・誠・開拓者精神」という日立創業の精神と共に脈々と受け継がれ、今や世界の仲間へと広がっています。

私たちはこれからも技術革新を追求し、よりよい未来をひらくため、社会が直面する課題の解決に向けて挑戦し続けます。

top_mv2.jpg

IT・OT・プロダクト
そしてデジタルによる変革

日立は創業以来、時代に応じて変化する社会課題に正面から向き合い、解決に取り組んできました。
長い歴史の中で培ってきたIT、OT(制御・運用技術)、そしてプロダクトの強みを統合した社会に新たな価値を創出する「社会イノベーション事業」を推進しています。
また、長期的な視点に立ち、常に最適な事業ポートフォリオを追求することで、変化する社会課題に柔軟に対応しています。
今後も、デジタルをコアとして、ミッションクリティカルな社会インフラの構築やサービスの提供を通じて、よりよい社会の実現に貢献します。

1910 - 1960


鉱山の修理工場から始まった
不屈の創業期

1910年、鉱山の小さな修理工場から日立の歴史は幕を開けました。自らの力で電気機械を製作し、日本の機械工業を発展させることで社会に貢献したい、という強い意志のもと、日立初の製品となったのが5馬力誘導電動機です。その後、事故や工場火災、震災、戦禍など幾多の困難に見舞われますが、不屈の精神で乗り越え、徐々に社会の信用を獲得しました。そして事業を拡大した日立は、日本有数の電機メーカーへと躍進します。

1961 - 1980


高度経済成長を支える
社会インフラ発展への貢献

日本が高度経済成長期に突入した1960年代。日立は新幹線車両の開発・製作に参画し、時速200kmを実現。また将来性を見越して、黎明期のコンピュータ産業にも進出し、国産初の大型コンピュータを開発するなどエレクトロニクス分野を強化していきました。さらに事業を拡大して「総合電機メーカー」として大きく発展します。

1981 - 2000


事業構造改革に力を注ぎ、
「総合力」の基盤を確立

1980年代以降、日立は超大型コンピュータや半導体など「IT」の飛躍に加え、「OT・プロダクト」領域でも革新的な技術を次々と創出しました。さらに、加速するグローバル化に迅速に対応するため、大規模な事業構造改革を実施するとともに、研究開発を強化し、強靭な基盤を築き上げました。

2001 -


日本から世界へ、
社会イノベーション事業を展開

長年培ってきた「IT」「OT」「プロダクト」の強みを統合し、日立はデジタルをコアとした「社会イノベーション事業」へ大きく舵を切りました。2016年には独自のデジタル技術を活用した「Lumada」を立ち上げ、グローバル展開を加速。データから価値を創出し、世界の複雑な社会課題解決をリードする企業へと歩みを進めています。

マンガで知る 日立の創業者・小平浪平

日立製作所の創業に至るまでの道のりは、決して平たんなものではありませんでした。幼少期から事業を拡大していくまでの小平の半生を、マンガで振り返ります。